物価についての雑感
平成十一年(1,999年)に初版発行の文庫本("村上朝日堂はいかにして鍛えられたか")を読んでいた。日本の物価はいろいろと高いですね、という話が少し気になった。まず東京から熱海までの片道高速料金で当時約3,500円もかかったと言っている。確かに高い。ちなみに東京駅からローカルの東海道線に乗って熱海までいくと2,023年現在で1,980円。乗り換えがゼロ回で約二時間ほどかかる。
それから音楽CDについて。アルバム一枚が2,800円。これも1,999年当時。アメリカだと当時でも十ドル程度。日本の物価は高い、という話。結局、出版業界というのは再販制度というのを守られるためにそのような価格設定になってしまっているらしい。もちろん是非はあるだろうし業界の深いところまではわからない。アメリカにならってネット化、デジタル化すればどうなるのかもわからない。なぜ電子書籍と紙書籍が同一の金額設定なのか。
「良心的出版物」、「文化保護」それも確かに一理あるかもしれない。しかし、自分の最新出版物が税込で 2,980円 というのは適正な価格なんだろうか。よくわからない。古本屋や図書館にでまわってから読めたら読もうと思う。いや、それほど自分でももう読みたいとは思わないのかもしれない。結局その役も持ち回りにすぎないんだろうな、と思う。社会に権力があれば(結果的であるにせよ)それをひきずり下ろし、自分が権力にいすわると自己弁護をする。ずっとそんなことを繰り返してきたんだろう。中世から、近代から、現代まで。いつだっていつだって物事のあり方というのは変わらないのだ。声のない、言葉のない小市民からうわずみを絞りとってぐるぐるとまわりつづける世界。”文壇”からは距離を置いてきた、と言う。でも結局自分自身が”文壇化”しているようにみえる。尊敬しているのか、侮蔑しているのか、よくわからなくなってきた。雑感。
釧路に ufo が
来週釧路にいこうかと思案中。一日有給休暇をもらえたので、釧路湿原をみたあとに、長距離バスで札幌へ移動し、ラーメンを食べてから羽田にもどるというざっくりとしたプラン。移動交通費だけで約5万円ほどかかる。
移動の費用:
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横浜 - 羽田 京急線 |
1,020 |
羽田 - 釧路 |
22,810 |
釧路 ホテル |
7,100 |
釧路 - 札幌 長距離バス |
4,800 |
新千歳 - 羽田 |
17,140 |
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合計 |
52,870 |
ちなみに村上春樹の短編小説に釧路がでてきます。具体的な理由も告げられず離婚することになった男性が会社の同僚に頼まれて釧路にいる妹にある箱を渡しにいく話。
今回の旅もそうだけど、旅の主目的がだんだんと現地に行くことではなく、移動の過程に自分を置くことにシフトしている気がする。新幹線、旅客機、長距離バス、フェリー、移動の感覚。そういうものを求めている。よくそんなところに行ったってなにもないよ、という旅行についての評価を耳にすることがあって、なんとなく違和感を感じていたんだけれど、結局言葉にするとそういうことになるのかもしれない。息苦しい日常を少し離れて頭の中を更新すること。沖縄の海も、ルーブル美術館にも、瑠璃光院にも、それほどの意味はない。being on the road.
トイックテスト
昨日、10.24に横浜のホテル(ホテル・ザ・ノット ヨコハマ)でトイックテストを受験した。今年の七月に続いて二回目になる。前回は戸塚の明治学院大学だった。大学のキャンパスの方がスペースにゆとりがあって受験しやすかった。アクセスもいい。今回のホテルは横浜ビブレのすぐ隣で周囲の環境も騒がしかった。衆院選が間近ということもあって、試験官の人が関係者に事前に周知しているようだったし、リスニングが途中で中断するかもと言っていた。実際には少し聴こえてきたけど、支障があるほどではなかったので途中で止まるようなことはなかったけれど。
受付が14:05からで30分前には到着していたのだけど、ホテルの中では待機できず、仕方なくビブレ前の広場でずっと待っていた。かなり人出もあったし、騒がしかった。みんな週末のショッピングを楽しんでいるようだった。やはり受験は春か秋がいいと思う。外でずっと待つこともあるし。ホテルだからトイレもそれほど余裕がなかった。少し腹痛になってしまい、直前に二回トイレに行った。たまたま持ち合わせていた薬を飲み、ホテル側から貸し出されていたブランケットをずっと膝にかけていた。
試験自体は前回と違って時間内に終わることができたし、まあ結果はわからないけど。
九州の大雨
コロナにつづいて大雨の災害がつづいている。
当然、コロナウィルスもまだ終息していない。そんな中で西日本を中心に豪雨で家屋が流されるほどひどい被害が起きている。鹿児島県や熊本県など、日頃から自然災害が多いイメージがある。熊本ではサッカークラブの子どもたちが災害後の撤去作業をしている報道があり、議論になっていた。半袖半ズボンの子どもたちが土砂の洗浄作業をボランティアでしていたが、衛生面も心配だし子どもに無償でやらせることを美談のように報道していいるのはどうなのか、といった具合だった。現場にいる当事者ではないからわからないが、snsにのせることで対外的にアピールしたいねらいでもあったのだろうか。
関東地方でも連日の曇り空だし、時々はげしい雨が降ることもある。ただ、今のところ近所で河川の堤防が決壊し建物が流されるほどの被害が出ることはない。そんなニュースを目にしていて、ふとなにができるだろうか、と考えてみた。それこそ美談が目的ではなく、いまの日本ではどこでなにが起きても不思議ではないという思いが徐々に強くなっている気がしているからだ。震災や台風の教訓。それを広範に根付かせるのは難しい。人は(自分も)すぐに忘れてしまうからだ。
昔、十代だったころ、楳図かずおの「漂流教室」や望月峯太郎の「ドラゴンヘッド」なんかを読んだことがある。いつか今度は当事者として経験する日が来るのだろうか。