千本中立売にて
京都の千本中立売にいる。読み方さえよくわからない。薄雲のすきまから夕陽が射している。もうあと十分ほどで六時になるけれど、まだあたりは明るい。自分の体とおなじようなサイズの楽器ケースを抱えた女の子の集団が交差点を渡っていく。店内では大学生のグループが勉強している。そんな風景の中にいると、タイムスリップしたような感覚になる。時間からその文脈が失われてしまったような。
これからの暮らしについて考える。どういう環境に自分を置けば、穏やかに過ごせるのか。小学生の時間のような。あるいはもう二度と手に入らないのかも知れない。
20150723 京都
京都へ。
高校生以来だからもう20年近く経つ。
切符は自由席を買った。平日だしピーク前だったから。でも座れなかった。ガス状の雲が白い膜のように空を覆っている。畑、墓場、納屋、役場、焼却炉、どれだけの時間が経過したのか。
習慣について
(P.88より)
「時間を管理する」ことが成長を妨げる
「緊急でないが重要なこと」が人生の栄養になる
1. 緊急で重要なこと
2. 緊急でないが、重要なこと
3. 緊急だが重要でないこと
4. 緊急でも重要でもないこと
増やす領域が二番めの「緊急でないが、重要なこと」だけだったのが意外だった。優先順位をつけるとしたら、「緊急で重要なこと」だと思っていた。しかし緊急のことは人を疲弊させてしまうし、時間を管理することがかえって成長を妨げてしまう。逆に「緊急ではないが、重要なこと」が人生の滋養になる。それは言い換えると「習慣」のことだろう。人の運命に影響を与えるものはいかに習慣を取りこむかにあると思う。もちろん大事なことは、どの「習慣」を取りこむかだけれど。
十代のころ、そういう小さな習慣をいかにインストールできるかというのは大事なことだろうな。
自意識の揺れ
作家の村上龍さんがゲスト出演していた爆笑問題のラジオ番組を聴いた。その中で出てきた「自意識の揺れ」という言葉。
中央線のホームに自殺を考えながら暗い顔をして佇んでいる中年男性がいるとして、その原因をどこに求めるのか。おなじモチーフでも人によって捉え方は違う。まだデビューしたての若い頃から龍さんと比較されてきた村上春樹さん。彼だったらそれを(おそらく)自意識の揺れだと表現し、龍さんだったらそれを早期退職で解雇されたからだと解釈するだろう、と。
iPhoneでなんとなく聴き流していたけれど、自分の中でうまく整理できなかった。龍さんは自分自身、作家としてそんな自意識の揺れを吹きとばしてくれるものが好きだと言っていたけれど、中央線のおじさんにとっては龍さんの書く小説なんて少しも影響を与えないんじゃないだろうか。それは龍さんの書く小説が無価値だというわけじゃない。そこに効く処方箋は、結局のところ、「経済」とそれのもたらす「自尊心」以外にありえないんじゃないだろうか。ベルベット・アンダーグラウンドの音楽や、ジミー・コナーズのテニスや、中田英寿のサッカーで(あるいは「半島を出よ」で)、おじさんの持つ「自意識の揺れ」は解消されるのだろうか。
あるいは小説という容れ物を実験の材料にしているのかも知れない。それならわかる気はする。それこそ無謀な、果てしない挑戦のようにも思えるけれど。
分岐点
来月で仕事が変わる。
もうこの一ヶ月ちかく、ずっとジョブズの言葉を反芻してきた。
☆☆
「あなたの(人生の)時間は限られている。 だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。 ドグマにとらわれるな。 それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。 他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声を かき消したりすることのないようにしなさい」
☆☆
あしたが人生で最後の日だと思って毎日を過ごすこと、たぶんその言葉の意味をまだ実感として理解していない。でも、それが真実なんだということはわかる。人間の人生には現在しかない。きっと、これからもずっと変わらないだろう。
もう何度も思う。いまが人生の大きなターニングポイントなんだ、と。だから動かなきゃいけない。動きつづけなきゃいけない。周りがどう思うかは関係ない。日本史という大きなくくりでも、自分の人生という小さなくくりでも、いま大きな流れの中にいる。あと十年か、二十年したら必ず「ああ、やっぱりあのとき(2,013年)大きな転換点にいたんだ」と振り返って思うはずだ。