新旧雑感
外資系の企業で働きはじめて二年になる。先日、会社の上司と飲みに行った。
いいところ
インターネットのいいところは自分の知りたい情報を、「自分の知りたいと思えるやり方で」教えてくれるところだと思う。
テレビだと時間的、表現的制限がある。新聞だと情報の表現方法が(自分にとって)敷居が高いと感じる。でもインターネットだと自分が知りたいと思う情報を、自分にとってわかりやすいかたちで伝達してくれる場があるし、そこに自分の意志でたどりつくことができる。
ちきりんさんのブログがいい例で、堅苦しい情報でもそれを噛み砕いて(ゆるーく)伝えてくれる。差し出す情報もどちらかというと、少しだけ近未来的なことが多い。
ラジオのヘビーリスナーではないけれど、テレビのニュースや新聞ではそういう「やり方」で情報を提出してくれるところはなかった。今後も、自分にあわせたソースのフォローはしていくと思う。
生き方を変えるには、
1)住む場所を変える
2)つきあう人を変える
3)生活習慣を変える
帝国化していく
ちきりんさんのブログを読んだ。
21世紀は民主主義というのが相対的に背景化し、資本主義がますます前景化してゆく。本当にその通りだと思う。テレビでTPP関連のニュースをみかける。そのなかにISD条項というのがあって、簡単に言うと企業が貿易で不当な取引をされた場合、企業や投資家は世界銀行(ワシントン)を通して国を訴えることができる。企業の自我がはどめを失って肥大化しているようにさえみえる。
個人の価値観のありかなんて何も機能していないようにみえる。それはなにもテレビなどメディアの中だけではなく、自分の所属する職場についてさえそう思う。しかるべき経験や知識、社会的ステイタスなどを保持していないと、ただそれだけで看過されてしまう。その小さなコミュニティのなかでは民主主義なんてまるで機能していない。自殺者が膨らんでも、不況で賃金格差が進んでもソーシャルな分水嶺を隔てた向こう側には単なる他人事でしかない。
結局、個人でできることは成功するまで挑戦を繰り返すことだけなんだろうな。社会に変化を期待していたらそれだけで二十年くらいかかってしまう。実行すること、もうそこにしか価値はないと思う。
意識のあり方
アメーバの藤田さんのブログを読んだ。起業十周年、2008年のときに書いた文章を引用していた。 “鼻で笑われたこと、相手にしてもらえなかったこと、悔しかったこと、実現できなかったこと、あげ足をとられたり、陰口をたたかれたこと” など。それでも自分が信じたことを継続し一つひとつ目標を実現してきた。いまではもうそんな怒りや悔しさは消えてしまった、と。
永井秀樹さんのブログを読んでいても通じる部分があった。ただ仕事ができるようになりたいと純粋に思っているだけなのに、駆け引きをしてると思われたり駆け引きをされたり、つまらない些細なことで脚をひっかけたり。ただ最近になってそういうことにも少しずつ慣れてきたように思う。職場でもそれ以外の場所であってもいい、たったひとりでも自分の姿勢や生き方を支持し、応援してくれる人がいればたとえどれだけひどい状況であっても頑張ることができる。いまはひとりどころではない、いろんな場所でいろんな人が応援してくれる。そこに甘えるのではなく、何かを期待することもせず、ただ自分の向かう場所に一ミリでもいいから近づくこと。これまでに受けてきた恩は返すことなどできない。金を渡すことなどできないし、自分が先輩に対して何かを返すことだってできない。できることは自分が少しでもいいから仕事ができるようになること、自分の向かう目標に近づくこと、人生を充実させることだけ。それを静かに達成することだけが、僕を応援してくれた人への恩返しだと思う。
澱みにたまって人の脚をひっぱったり、躓いて転んでいる姿をみてせせら笑ったり、そういう人種もこれまでだってたくさんみてきた。くやしかったし、見返してやりたかったし、黙らせたかったし、相手になんてしたくなかった。藤田さんはそんな人種を相手にしない、つきぬけた場所にいる。それをいつか、一日でもはやく実現できるようになりたい。
再起動
Twitterでフォローしている宋さんの言葉。
「バネが縮むことでエネルギーを蓄えます。朝は暗黒を通じて光を放ちます。草木は寒さを耐えて新緑を噴出します。我々人間は、元気のない時期、自信のない時期を経て成長の中身を作るのです」
「恥ずかしいと感じた時、それは運命があなたを研いている時。寂しいと感じた時、それは運命があなたに期待している時。貧しいと感じた時、それは運命があなたを豊かにしている時。進歩を感じた時、それは運命があなたを奨励している時」
何度でも繰り返して成長する。自分の内なる声。「いま」はいましかない。雑音を消し、自分が本当に求める時間の方に耳を傾けること。他人にできて、自分にできないことなんて一つもない。
- 作者: 宋文洲
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端境期
遠い話、近い話
02/23(土)放送の「朝まで生テレビ」をみる。乙武さんが出演していることは知っていたが、東浩紀は知らなかった。テーマは教育問題だったけれど議論の焦点が遠すぎて実感もないし集中してみれなかった。「昔は」とか「フィンランドでは」と言われてもどちらかというとサイエンス・フィクションみたいに聞こえてしまう。
2012年自民党政権公約に「道徳教育の充実」とある。おそらくこれから五年後、十年後も政権公約が教育のありかたに影響を与えることはないだろう。これまでがそうだったように。しかし「シフト」しているものもある。それはゆっくりとしていて日常で意識することはほとんどない。それでも失われた二十年があと二、三十年つづけば、個人のもつ意識はもっと変わっていくと思う。これまで常識とされていた意識が、実は一過性のものだったんだ、と。家入さんのやろうとしている実験がどうなるか、僕にもわからないけど興味はある。
今日はこのあとゼロックス・スーパーカップ(サンフレッチェ広島vs柏レイソル)をみる。